MAGAZINE
生命の輪
―食と人、食と環境―。
新型コロナウイルスの感染拡大は、あらためて“食のつながり”の大切さを浮き彫りにした。作り手―売り手―食べ手のつながりが閉ざされ、すべての立場が苦境に立たされたのも記憶に新しい。
食材は生きもの。一つひとつに生命が宿っている。それにも関わらず、売り手、食べ手に届かなかったものは、不本意なことに「フードロス」として廃棄されてしまった…。
これまで以上に「フードロス」が取り沙汰される中で、私たちは見つめなおすときが来たのだ。どのような「食のつながり」を築いていくべきなのかを―。
今や、社会問題化されている「食のつながり」を、ひと足早くカタチにしている二人の男が滋賀県にいる。かたや酪農家。かたや農家。業種が異なり、通常ならタッグを組むはずのなかった二人をつないだのは、長らく放置されていた竹林だった。
同じ年、同じ価値観の二人が出会うのは、“偶然”ではなく“必然”だった。
鈴鹿山脈の麓に広がる滋賀県・日野町と甲賀市。隣同士に位置する同エリアは、清らかな渓流、凛とした空気、ササユリが自生する里山…など、豊かな自然に囲まれている。二人が生まれ育ち、あくなき挑戦を続ける場所だ。
「野田牧場」の野田剛さん。近江日野商人の“三方よし”の考えにならい、牛のストレスやまわりの環境に配慮しながら、持続可能な酪農業を営んでいる。また、牛たちを名前で呼び分けるのもこだわり。昨年末に生まれた子牛は、人気アニメからインスピレーションを受け、「リサ」とネーミングした。顔を見ながら搾乳した牛乳は「野田牧場」のブランドで世に送り出したいと、ジャムやプリンなどの製品開発にも積極的だ。
一方、「なかお農園」の中尾英俊さんは、兼業農家の息子として生まれた。現在は、両親と協力し合いながら、米とブドウの生産を行っている。
「作物の味を決めるのは品種ではなく土壌。だからこそ、土作りによってできるだけ農薬・化学肥料に頼らない栽培方法を追求している。収量は多少落ちるかもしれないが、普段何気なく買っている食材とは味の強さが違うし、環境に負荷をかけずに持続的に育てることができる」。(中尾さん)
同じ年、同じ価値観の二人が出会ったのは約一年前。仕事の関係で互いを知ったとき、二人とも相手にシンパシーを感じたそうだ。そんな二人の距離をより縮めたのは、野田牧場の天敵でもある裏山の竹だった。
「竹は敷地を荒らす厄介ものである一方で、土作りに欠かせない土着菌の宝庫。天然の抗菌力や薬効なども備えているので、牛糞たい肥と混ぜて発酵させると、良質な有機肥料に様変わりする。視点を置き換えてみると、裏山は宝の箱だった」。(野田さん)
“厄介者扱い”の竹も、視点を変えればおいしい食材の源に。
少し時空をさかのぼってみると、かつての日本人は、まわりの環境とともに自給自足の生活を送っていた。山に入り、木を切って道具を作り、その道具で火を起こし、畑や田んぼで野菜や米を育てていた。そのため里山は常に人の手が入り、農地を圧迫することはなかった。
ところが近年は、林業従事者の高齢化や、安価な輸入材に押されて、山が十分に生かされていない。山の放置が引き起こす問題が取り沙汰される中で、「天敵の竹を味方につけよう」というのが「野田牧場」のスタンスだ。
「だが、竹林を整備するだけでは、伐採した竹がロスになってしまう。どうにかできないものかと模索したとき、竹をシュレッダーで粉末状にし、独自の技術で牛糞たい肥と混合し、発酵させて肥料にする…という牧場ならではの方法をひらめいた」。(野田さん)
野田さんの頭の中はパズルのよう。まずは、今抱えている問題を浮き彫りにし、まわりの環境に配慮しながら、長いスパンで酪農という営みをカタチ作っていく。牛舎をおびやかす竹。それを整備し、粉砕してパウダー状に加工する。酪農業にはニオイの問題が常に付きまとうので、消臭効果のある竹のチップを牛舎に敷く。竹のチップは牛たちのベッドになり、その結果、ニオイ問題の解消だけでなく、牛たちのストレス軽減にもひと役買っている。また、竹は糖分、ケイ酸、ミネラルが豊富で、牛糞たい肥に混ぜて発酵させれば良質な肥料になり、田んぼに散布すると土壌が改善される。パズルピースをはめ込んでいくような感覚だ。
「竹の整備が終わり、ある程度のスペースが確保できたら、放牧酪農を行いたい。牛たちはほとんどの時間を青空の下でのんびりと草を食んで過ごす。この状態こそが、牛乳により格別な味わいを与えると思う」。(野田さん)
「おいしい」を紡ぐストーリーは、土の中から始まっている。
一方、なかお農園の中尾さんは自他ともに認める“土ヲタク”。「農業は土作りがすべて」と、近隣の竹材を使った竹のチップ、完熟牛糞たい肥に、雑木の枝や竹を焼いた炭を混合した“オリジナル肥料”で土作りを行っている。
「循環や輪廻、再生・復活などのことばを意識して百姓をしている。自然界の植物は、自身の落ち葉を地表面に落とし、自然の力で腐食・発酵させ、それを養分にして成長する…というサイクルの中で生きている。それと同じで、有機資材でできた“オリジナル肥料”をすき込むと、微生物が発酵を促し、土壌が肥沃化して元気な稲が育つ。特別な修業や特殊な資材がいるわけではなく、身のまわりのものに少し手を加えるだけで、誰でもできること」。(中尾さん)
農業を支えているのは、おそらく何億年も前から存在する“微生物とのつながり”だ。竹や牛糞はたい肥と土に力を与える。栄養が惜しみなく行き届いた土は、やがて食物にエネルギーを与えるようになる。微生物の働きは、まるでマジシャンのようだ。
「微生物は目に見えないので、“声なきものの声を聞き、姿なきものの姿を見る”感覚を研ぎす必要がある。それが成しえてこそ、そこで育まれた作物はエネルギーに満ちあふれる。その証拠にうちの稲は、稲自らが大地に根を張り、自立して育とうとするほど丈夫だ」。(中尾さん)
農薬や化学肥料を極力減らし、生物多様性・環境を保全していくと同時に、この地で大事にされてきた滋賀羽二重糯米の継承も担っている。
「甲賀市は滋賀羽二重糯米の産地。深い粘土層のため耕作は極めて困難だが、その代わり、自然本来の地力やミネラルが豊富なので、粒張りがよく良質なもち米が生産できる。さらに減農薬・減化学肥料にこだわれば、“のび”“コシ”“粘り”のバランスがいい、良質なもち米が生産できると確信している」。(中尾さん)
つながりの先にあるもの、それは挑戦への意欲。
酪農業と農業。業種の垣根を越えた「つながり」は、未来を見据えた新しい生産のカタチであり、まわりの環境にも好影響をもたらしている。
「業種を超えて、環境や社会意識の高い人が集まり、周囲を巻き込み、意見交換をしながら、新しい価値観は生み出されるのだと肌で感じている。ともに業界の中ではまだまだ若手だが、若手ならではの新しい発想でおもしろい動きをし、地域をけん引していきたい」。(野田さん)
一方で中尾さんは、化学物質や大型機器に頼った従来の農業スタイルに限界を覚え、次のフェーズへ進む転換期と感じていた。
「甲賀にはミネラル成分たっぷりのおいしい水、恵まれた土壌、さらに、土作りにこだわった百姓がいる。だからこそ今後は、米作りのノウハウを野菜作りに発展させたい。甲賀という土地でしか作ることのできない味覚を、野菜でも表現できると思う」。(中尾さん)
すでに二人は、明日を、その先の未来を見ている。このように、チャレンジ精神のある人たちが異なる視点や興味、得意分野を持ち寄るからこそ、その活動は自由に広がる。そして、星と星をつないで星座を象るように、どんどん価値のある取り組みに変わっていく。二人はきっとこれからも、滋賀県を代表する“最強のバディ”として足並みをそろえて挑戦を続けていくのだろう。
野田さんと中尾さん。業種の異なる二人をつなげたもの。それは地域への愛着と、豊かな食を、環境を未来へつなげていきたいという願い―。